遭難者世界一の谷川岳
であるが、その親しみやすさとは裏腹に、実は恐ろしい事実がある。それは
遭難者の数が飛びぬけて多く、世界のワースト記録なのである。
谷川岳の尾根1500mにある天神平駅まではロープウェイに乗って登山ができ、
年間でおよそ4~5万人もの登山者が訪れる。谷川岳は別名、死の山や魔の山とも
呼ばれていて、事故及び遭難の記録によれば1931年から現在までの死者は
800名以上にものぼる。
エベレストなどの標高8000m級の世界的な山での死者を全て足しても、この数
には及ばない。ではどうしてこの2000mにも満たない山がこれほど危険なのか。
それは変化が極めて激しい気象が鍵を握っているようである。冬ともなれば日本海側
から季節風が強く吹く、日本屈指の豪雪地帯なのである。5月になっても残雪が
大量に残っていたり、標高1500m付近からは森林限界となり、強風にさらされる
ことになる。
また一ノ倉沢という日本三大岩場として数えられる岸壁があり、数多くの登山家が
チャレンジするロッククライミングの名所なのである。遭難事故で亡くなるのが、
この急峻なルートで挑んだ人々が多い。
週末に訪れる登山家も多い谷川岳だが、こうした玄人向けのエリア以外にもポピュラー
な天神尾根ルートで登り道や気象が急激に変化することもあるだろう。
死の山で墓標を刻まないためにも、気軽にけっして立ち入りしないことが大切である。
コーラのレシピ保管所
コカ・コーラは飲料水の中でも有名なヒット作であり、世界中で親しまれている。
1886年5月にジョージア州アトランタで産声を上げ、130年以上経った今でも
伝統の味を守り続けている。一体どんなレシピなのだろうか。
実はコカ・コーラのレシピはこの世界にただ一枚しかないと言われている。
そしてその記された紙はコーラ発祥地にあるワールド・オブ・コカ・コーラ博物館の
保管庫に厳重管理されているのだ。
コカ・コーラは元々、ジョン・ペンバートンという薬剤師がコーラの実やコカの葉を配合してつくったものである。
彼は薬局で頭痛解消や疲労回復用の健康ドリンクとして売り始め、そのうちソーダで割ったものを一杯5セントで売り出した。飲みやすく甘い香りのするその炭酸飲料は
次第にヒットし、たちまち人気者となった。
その後1888年に薬剤の販売や製造をしていたエイサ・キャンドラーに引き継がれ、
コカ・コーラ社を設立して大々的に宣伝を行った。
こうしてコカ・コーラは僅か数年でアメリカ全州で飲まれる有名商品となった。当然、
ライバル社のコピー商品が出される可能性があるため、エイサ・キャンドラー氏は
製造特許を取得し、商標登録までした徹底ぶりだ。
このように代々その製法をトップシークレットとし、詳細を知るのは重役2名だけしか
いないとされる。さらに万一の事故で1名が生き残るために2人が同じ飛行機に搭乗しないという噂まで囁かれているのである。果たしてこれは単なる都市伝説なのか。